・年代:平安時代 12世紀
・法量:36.1cm

興福寺千体観音の一体と伝えられる像。その名の通り千体からなる群像でしたが、800年以上の時が流れるなかで朽ちて破損、加えて明治時代の廃仏毀釈の際に風呂の薪として燃やされるなど、多くが失われました。本像も両腕や膝前に二重にかかる天衣、台座は古いものが失われて修理で補っており、当初は右手に持つ蓮の蕾に左手を添え、その花弁を開く姿だったようです。おだやかな顔、薄く華奢な体、衣文が略される点などに平安後期の特徴がみられ、素朴な表情が愛らしい観音像です。