大日如来坐像

大日如来坐像

大日如来坐像

・作者:行順
・年代:鎌倉時代(文永七年・1270年)
・法量:像高 30.9cm

法界定印(坐禅の印)を結ぶ胎蔵界大日如来の坐像。大日如来には胎蔵界大日如来と、忍者のような智拳印を結ぶ金剛界大日如来の二種がありますが、うち胎蔵界像は比較的遺例が少なく、貴重な作例です。

本像の構造は、頭体幹部(頭と体の主要部分)をヒノキの一材で彫出し、耳の後ろを通る線で前後に割り、内部を刳り抜く一木割矧造で、瞳には水晶製の玉眼を嵌入しています。本像は像内墨書から、文永七年(1270)、静快を大願主として、佛師行順が制作した仏像であることが分かります。鎌倉時代に遡る仏像で、制作年代と作者、制作事情が判明する仏像は稀で、このような仏像は墨書を持たない多くの仏像の年代を考える上での参考となるため、基準作と呼ばれます。本像は小像ですが、13世紀後半の仏像を研究する際の基準作として、学術的に貴重な仏像です。

観世音菩薩立像(興福寺千体観音)

観世音菩薩立像(興福寺千体観音)

観世音菩薩立像(興福寺千体観音)

・年代:平安時代後期(12世紀)
・法量:像高36.1cm

 

ヒノキと思われる針葉樹で造られた一木造の観音像。本像は興福寺千体観音の一体と伝えられています。興福寺にはかつて千体観音が伝来していましたが、安置するお堂が老朽化し、ほぼ全ての像は著しく破損、風呂の薪として燃やされたものもあったといいます。本像もかつては破損した姿だったようで、は両腕、両足先・膝前に二重に渡る天衣(ストール)などが後世補ったものです。千体もの観音像を制作した事情は明らかになっていませんが、興福寺は藤原氏の氏寺であるため、平安時代に隆盛を誇った藤原氏の各家がそれぞれ、その力に応じて様々な仏師に制作を依頼、一族の繁栄を祈願して奉納したものという説があります。

菩薩立像

菩薩立像

菩薩立像

・年代:中国・宋時代(13世紀か)
・法量:総高103.1cm

頭頂の髻から台座までを一材で造り、部分的に塑土を盛り上げて成型、彩色を施した菩薩立像。腰を大きく右に捻った弓形の体や、持った供物を支える盆を右方に差し出す姿から、もとは中尊の左右に配した脇侍菩薩像の一体で、本尊に対して供物を捧げる姿であったと思われます。

大づかみな造形は中国の石窟寺院に見られる石像に近く、台座を含む像全体を一木で彫出し、塑土を用いて細部を仕上げる手法、面貌や動きのある体勢は中国で宋時代に制作された仏像の特徴を示しています。体に比して頭部や手が過大な姿や、写実を離れて形式化した造形から、南宋(1127~1279)の時代に制作された像の可能性が高いでしょう。

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像

・年代:平安時代(10世紀)
・法量:像高52.2cm
・指定:重要美術品

十一面観音は十の頭上面を持つ観音で、この姿はあらゆる方角を見渡して救済を行う、観音の救済力の表現とされています。

本像は頭部から台座蓮肉の一部までをサクラと思われる広葉樹の一材から彫出した一木造の立像で、頭上面と右肩以下の右腕、左の肘から先は別に造って取り付けています。像を蓮肉まで含めて一材でつくり、内刳(内部を刳り抜くこと)を行わない技法、装身具を彫出する手法は平安時代前期に見られる特徴であり、太い鼻梁とつり上った瞳が生む強い表情、奥行のある頭部、両胸の下をC字型に刳る表現、下半身に着用した裙(巻きスカート)に見られる翻波式衣文(大きい襞の間に小さな襞をあらわす表現)も古様です。一方で本像は全体として穏やかな作風を示しており、九世紀の仏像に見られる厳しい表現が、温和な和様へと向かいつつある時期、十世紀初めの仏像と考えられます。

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

・年代:鎌倉時代(13世紀)
・法量:像高99.8cm

西方の極楽浄土に住み、信仰する者を死後、浄土に迎えとるとされた阿弥陀如来の立像。頭体幹部(頭部と体の主要部分)を一材でつくった上、前後に割って内刳を行う一木割矧造の像で、瞳には水晶製の玉眼をはめ込んでいます。螺髪を後頭部でV字形に配し、像底を上げ底式に刳り残す点などは慶派仏師の特徴で、着衣の形式や流麗な衣文線、秀麗な面貌などから、快慶に学んだ仏師の作品と考えられます。なお、通常立像は、両足裏に足枘を作り、台座上面の穴に差し込むのが普通ですが、本像は蓮台上に2本の棒を立て、これを踵の後方に開けた2つの穴に差し込んで立てており、足裏に漆下地を見ることができます。こうした特殊な特徴から本像は、足裏に千幅輪相(如来の足裏にある車輪型の文様)をあらわす像であった可能性があります。鎌倉時代、仏像の姿をなるだけ経典に忠実に再現することで、生身の仏を再現しようとする動きがありますが、本像はこのような生身仏のうち早い時期の作例の可能性が高く、学術的に貴重な仏像です。