ピエール=オーギュスト・ルノワール 《アルジャントゥイユの橋》

 

オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir
アルジャントゥイユの橋 Pont du chemin de fer à  Argenteuil
1873年 油彩・カンヴァス 46.0×63.0cm

鉄橋が架かるセーヌ川の様子が自由なタッチで描かれています。川面は短い平筆のタッチでリズミカルに塗られて、その感覚はセーヌ川を吹き抜ける風を想像させるかのようです。鉄橋の影の灰色は光と影のグラデーションではなく、色の面としてあらわされており、川面に盛り上げられた白い絵具とともに降り注ぐ陽光の瞬きが感じられます。

この時期、ルノワールはしばしばアルジャントゥイユに住むモネを訪ねて、ともに制作をしました。二人は戸外にイーゼルを立てて同じ風景を描き、「筆触分割」によって色彩で画面を構成する新しい絵画を模索しました。こうした作品は翌年に開催される「第1回印象派展」に出品され、大きな反響を呼びました。自由な感覚に満ちたこの風景画は、印象派の誕生を象徴する作品の一つといえるでしょう。

 

 

須田国太郎 《ハッカ》

10_suda_m

須田国太郎
ハッカ
1922(大正11)年 油彩・カンヴァス 38.0×49.0mc

1922(大正11)年8月、須田はスペイン北東部アラゴン州のハカ(Jaca)を訪れました。8月4日の日記には「七時半ハッカへ」、途中「一瞬も目を離せぬ絶景」とあり、ハカは「小さいが西班牙としてはいい部に属する」とも記されています。マドリードを拠点にスペイン各地を巡った須田にとって、この町は魅力的な場所の一つとなったようです。

ハカはロマネスク時代の遺跡が残る町で、中世にサンティアゴ巡礼路の起点として定められました。本作には、街の南にそびえるオロル山とその裾野の荒野が描かれています。画面右下に描かれた建物や抑制された色調は、明暗表現を原理的に探求したキュビスムの絵画を連想させます。しかし、本作では劇的な明暗と色彩やマティエールを対比させて空間を生み出す須田の手法を垣間見ることができます。

岸田劉生 《麗子微笑像》

16岸田劉生-麗子微笑像-1921m

岸田劉生
麗子微笑像
1921(大正10)年 水彩・紙 41.8×34.0cm

赤と黄色が鮮やかな絞りの着物を着た劉生の娘・麗子が描かれています。頭には中国のかんざしをつけて、神秘的な笑みを湛えるようすには、どこか不思議な異国情緒が感じられます。

劉生は日記に「今日は麗子が早びけで早く帰つたので、(中略)、その上又麗子の例のメリンスの赤と黄のシボリの美しいきものを着せて頭に先日の支那のかんざしをつけて、笑つてゐる半身像をはじめて、筆をおく」(1921年9月30日)と記しています。メリンスとはメリノ羊の毛で作った布で、細かな染付ができる数少ない毛織物として重宝されていました。劉生はこの着物を着た麗子をしばしば描きましたが、本作では絞り染め特有の布にできる凹凸を水彩画で表現するため、色の濃淡に注意を払っているようすがうかがえます。

【没後90年記念 岸田劉生展】に出品
東京ステーションギャラリーの『没後90年記念 岸田劉生展』(8/31~10/20)に出品しました。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

 

小林古径 《杪秋》

09_kobayashi2_m

小林古径
杪秋
1951(昭和26)年 紙本彩色・軸装 35.2×47.7cm

厳しい線描が特徴の古径ですが、ここでははっきりとした線は画面右の猫にのみ施されています。柿の葉や実は黄色や橙色、茶色などの鮮やかな色面でリズミカルに捉えられ、画面を華やかに飾り立てています。それらの描写に写実性はなく、よく見ると枝から離れてさえいます。しかし、はらはら落ちる葉はその重さまでをも感じさせるかのようであり、単なる写実的描写から離れて平面的リズムによって独自のリアリズムに到達しています。地面は色面を暈して描かれており、琳派や大和絵などの影響に基づく伝統的な空間描写を見ることができます。

菩薩立像

菩薩立像

菩薩立像

・年代:中国・宋時代(13世紀か)
・法量:総高103.1cm

頭頂の髻から台座までを一材で造り、部分的に塑土を盛り上げて成型、彩色を施した菩薩立像。腰を大きく右に捻った弓形の体や、持った供物を支える盆を右方に差し出す姿から、もとは中尊の左右に配した脇侍菩薩像の一体で、本尊に対して供物を捧げる姿であったと思われます。

大づかみな造形は中国の石窟寺院に見られる石像に近く、台座を含む像全体を一木で彫出し、塑土を用いて細部を仕上げる手法、面貌や動きのある体勢は中国で宋時代に制作された仏像の特徴を示しています。体に比して頭部や手が過大な姿や、写実を離れて形式化した造形から、南宋(1127~1279)の時代に制作された像の可能性が高いでしょう。

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像

十一面観世音菩薩立像

・年代:平安時代(10世紀)
・法量:像高52.2cm
・指定:重要美術品

十一面観音は十の頭上面を持つ観音で、この姿はあらゆる方角を見渡して救済を行う、観音の救済力の表現とされています。

本像は頭部から台座蓮肉の一部までをサクラと思われる広葉樹の一材から彫出した一木造の立像で、頭上面と右肩以下の右腕、左の肘から先は別に造って取り付けています。像を蓮肉まで含めて一材でつくり、内刳(内部を刳り抜くこと)を行わない技法、装身具を彫出する手法は平安時代前期に見られる特徴であり、太い鼻梁とつり上った瞳が生む強い表情、奥行のある頭部、両胸の下をC字型に刳る表現、下半身に着用した裙(巻きスカート)に見られる翻波式衣文(大きい襞の間に小さな襞をあらわす表現)も古様です。一方で本像は全体として穏やかな作風を示しており、九世紀の仏像に見られる厳しい表現が、温和な和様へと向かいつつある時期、十世紀初めの仏像と考えられます。

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

阿弥陀如来立像

・年代:鎌倉時代(13世紀)
・法量:像高99.8cm

西方の極楽浄土に住み、信仰する者を死後、浄土に迎えとるとされた阿弥陀如来の立像。頭体幹部(頭部と体の主要部分)を一材でつくった上、前後に割って内刳を行う一木割矧造の像で、瞳には水晶製の玉眼をはめ込んでいます。螺髪を後頭部でV字形に配し、像底を上げ底式に刳り残す点などは慶派仏師の特徴で、着衣の形式や流麗な衣文線、秀麗な面貌などから、快慶に学んだ仏師の作品と考えられます。なお、通常立像は、両足裏に足枘を作り、台座上面の穴に差し込むのが普通ですが、本像は蓮台上に2本の棒を立て、これを踵の後方に開けた2つの穴に差し込んで立てており、足裏に漆下地を見ることができます。こうした特殊な特徴から本像は、足裏に千幅輪相(如来の足裏にある車輪型の文様)をあらわす像であった可能性があります。鎌倉時代、仏像の姿をなるだけ経典に忠実に再現することで、生身の仏を再現しようとする動きがありますが、本像はこのような生身仏のうち早い時期の作例の可能性が高く、学術的に貴重な仏像です。

紫紙金字華厳経断簡

紫紙金字華厳経断簡

紫紙金字華厳経断簡

・年代:奈良時代(8世紀)
・法量:縦26.5㎝ 横49.9㎝

ムラサキソウで染めた紫紙に金泥で八十巻本の華厳経を書写した古写経で、本経はその一紙分の断簡です。奈良時代の聖武天皇は、741年に国分寺建立の詔を発布し、国ごとに国分寺と国分寺を建立、国分寺には金光明最勝王経、国分尼寺には法華経をそれぞれ十組ずつ書写させ、安置させたことが知られています。その後、聖武天皇は大仏を造立し、諸国の国分寺を統べる総国分寺として東大寺を建立しましたが、本経はこの時、大仏に奉納されたものと考えられます。

写経の最高峰に位置づけられる天平写経の中にあって、本経の一点一画を疎かにしない謹厳端正な書風は、天皇の勅願による官立写経所における写経事業の高い技術と質を感じさせる名品です。