【近代館】 四季の情景-上原コレクションを楽しむ

 

本展では新収蔵・初公開となる鏑木清方《十一月の雨》を中心に、上原コレクションから日本画に描かれた四季の情景をご紹介いたします。
鏑木清方(1878-1972)は、江戸の文化が色濃く残る明治初め、東京神田に生まれました。新聞小説の挿絵画家としてスタートした清方は、そこで培った叙情的な表現で、多くの美人画や風俗画を描きました。
《十一月の雨》もまた、初冬の雨に濡れる下町の情景が表情豊かに描かれています。傘を差した女性は、荷車の花の鮮やかさに目を留めたのか、振り返って微笑んでいるようです。荷車の向こうでは焼芋屋が忙しそうに支度をして、あたりには甘い香りが立ちこめています。その隣家には絵草紙の下、男性が書物を読み耽っているようです。画面にはこうした人々の暮らしとともに、雨に潤んだ空気感が捉えられ、清方の愛した下町の情景が浮かび上がります。清方はこの作品について「焼芋屋の店も今では見かけなくなったが、銀杏の葉が黄いろく落ちる頃、灰色に時雨るゝ巷にたなびく煙、芋の焼けるにほひ、隣りの絵双紙屋と共に愛すべき明治の庶民に生活の悦びをあたへた忘れ難いものであった」と、振り返っています。
そのほか、初雪に微笑む女性を描いた上村松園《初雪》や、春霞に煙る山桜を篝火が照らし出す横山大観《夜桜》、ひなびた漁村の夏を爽やかに描いた竹内栖鳳《海濱小暑》などをご紹介いたします。

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【仏教館】知られざる伊豆の仏教美術

 

伊豆に今も伝わる仏教美術の中には、人知れず、伝えられてきたものが数多く眠っています。本展では、こうしたあまり知られていない文化財にスポットを当て、その魅力をご紹介いたします。伊豆の玄関口、熱海市の伊豆山は伊豆半島内の修験者の行場として、古くより信仰を集めてきました。その中腹に祀られる地蔵菩薩像が、今回、堂外初公開となります。また近世初期に戦乱を逃れ、伊東に落ちのびた武士がもたらした毘沙門天像や、伊豆南部地域の人々が願いを込めて書写した大般若経、今も涅槃会でのみ公開される江戸時代の涅槃図などを展示いたします。伊豆半島で育まれた豊饒な仏教美術の世界をご覧ください。

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【仏教館】特別展 仏像でみる伊豆の平安時代 【近代館】ものがたりをよむ 

【仏教館】特別展 仏像でみる伊豆の平安時代【近代館】ものがたりをよむ 

【仏教館】特別展 仏像でみる伊豆の平安時代【近代館】ものがたりをよむ 

【仏教館】特別展 仏像でみる伊豆の平安時代
【近代館】ものがたりをよむ

開催期間: 2024年10月5日(土)~2025年1月13日(月・祝)
開館時間: 9:30~16:30(入館は16:00まで)
休館日 : 展覧会会期中は無休
入館料 : 大人1,000円/学生500円/高校生以下無料
※仏教館・近代館の共通券です
※団体10名以上10%割引
※障がい者手帳をお持ちの方は半額
会場  : 上原美術館 近代館・仏教館

須田国太郎≪農村展望(小諸風景)

須田国太郎
農村展望(小諸風景)
1934(昭和9)年 油彩・カンヴァス 59.0×90.0cm

みはるかす山々の向こうに夏の雲が湧き立ち、眼下には山影が広がります。影には緑や赤など色が重層的に塗られ、これらの色彩に気づくと山々が夏の光にいっそう輝くようです。
本作は須田国太郎が1934(昭和9)年夏、長野県小諸附近を訪ねたときに描かれました。小諸は北東に浅間山を抱える標高約600メートル以上の高地で、主に浅間山からの火砕流台地と、千曲川などによる洪積台地からなっています。火山と河川が長い年月をかけて生み出した雄大な風景を、須田はひとときの夏の光が織り成す明暗の対比で捉えています。遠くの山に見える家並みは、大地の中に生きる人々の生活を浮かび上がらせるかのようです。

上原コレクション名品選3 近代館

 

仏教館 ~新収蔵・二天像と上原美術館のみほとけ~
近代館 美しき大地―新収蔵・梅原龍三郎≪朝暉≫を中心に―

上原美術館コレクションの中から新収蔵となったものを中心にご紹介します。仏教館では平安時代に造られた二天像を初公開。仏法を守護するみほとけの静かで力強い表現がみどころです。近代館は雄大な美しい桜島を描いた梅原龍三郎≪朝暉≫を中心に、画家たちが描く大地をご紹介します。

美しき大地―新収蔵・梅原龍三郎≪朝暉≫を中心に―

上原コレクション名品選3 仏教館

 

仏教館 ~新収蔵・二天像と上原美術館のみほとけ~
近代館 美しき大地―新収蔵・梅原龍三郎≪朝暉≫を中心に―

上原美術館コレクションの中から新収蔵となったものを中心にご紹介します。仏教館では平安時代に造られた二天像を初公開。仏法を守護するみほとけの静かで力強い表現がみどころです。近代館は雄大な美しい桜島を描いた梅原龍三郎≪朝暉≫を中心に、画家たちが描く大地をご紹介します。

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~新収蔵・二天像と上原美術館のみほとけ~

梅原龍三郎 ≪朝暉≫

梅原龍三郎
朝暉
1937(昭和12)年 64.6×79.5cm

まだ夜が残る群青色の街並みの向こうに、太陽の光を受けて浮かび上がる桜島のすがた。錦江湾には鈍い光が満ち、遠くの空も仄かに明るんできています。木々の緑はうっすらとした光を受け、街には間もなく朝が訪れるようです。わずかに赤みを帯びながら闇から姿をあらわす桜島の威容は、人々が生活する時間の感覚を超越した大地の息吹が感じられます。

梅原龍三郎(1888-1986年)は20歳のときにパリに留学してルノワールに師事、滞欧中にはイタリアのナポリを訪ねました。そのときのことを「この辺の海は、大気か何かの関係で色が素晴らしく美しく好きだった。だから山手の街など歩きながら、人がいないと踊り出したいくらい、美しいと思った事がある」とその感激を述べています。そして1921(大正10)年、師ルノワールの弔問のため南仏を訪れた際、再びナポリを訪ねました。噴煙を上げるヴェスヴィオ山の近くで偶然出会った日本人に梅原は「此この美感に桜島の景色が似てゐる」と聞き、その言葉が心に深く残りました。そして13年後、梅原は東京でふと耳にした鹿児島の民謡・小原節を聞いて「長閑な南国の景色が夢みられ、矢も楯もたまらず行て見度なり腰を上げた」といいます。それは1934(昭和9)年1月のことでした。東京から汽車で20時間以上揺られて初めての九州の旅、梅原の高揚する気持ちが想像されます。

鹿児島では友人の柳宗悦が紹介した人物の案内により岩崎谷荘に宿泊します。鹿児島の中央に位置する城山の麓にあるこの宿は「錦帆湾(原文ママ)上に幻の如く浮ぶ桜島の全貌を眺める家」であり、梅原が桜島を描くには絶好の場所でした。その座敷からは「城山を右に眺め山の尾の海に消える辺から桜島が空高くすまひ海が帯のように腰を巻いてゐる」という壮大な眺めが広がります。そして、その風景は梅原にナポリでの体験を喚起しました。「此パノラマが誠にベスビオとソレント半島を一眸に見るナポリの景色にも匹敵する風光である。東に面する桜島は朝青く夕は燃える樣に赤い、噴煙は時に濃く時に淡い、朝など濃藍の空と山の間に白く見える事もある。空の色海の色緑の色の光り強く美しき事我國内地此処に匹敵する処を自分は未だに知らない」。その壮麗な大地の美しさを梅原はそう謳っています。以後6年の間、梅原は毎年、鹿児島を訪れては桜島を描きました。桜島に訪れる暁の鈍い暉きを捉えた《朝暉》には、地球が巡る大自然の営みさえ感じられるようです。

二天像

二天像

・年代:平安時代 11~12世紀
・法量:阿形135.3cm/吽形136.2cm
*新収蔵

 

甲冑に身を固め、邪鬼を踏んで立つ二体一対の天部像。二天像は四天王の内の二尊を選び、造像するもので、寺院の中門や本尊の左右に立ち、仏や寺院、仏教徒を魔や災厄から守る守護神です。二天像は左右対称の姿が基本で、本像も腕や足の上下、腰の捻り、一方を開口、他方を固く口を結ぶ阿吽の姿としてこの例に従っていますが、甲冑細部は変えて変化を持たせています。太くがっしりとした体躯はたくましく、細身で颯爽とした鎌倉の天部像とは対照的な「強さ」の表現を見ることができます。

薬師如来像

・年代:平安時代 12世紀
・法量:52.8cm

手に薬壺を持ち、人々を病から救う薬師如来の坐像。構造は、頭体を桧の一材でつくり、前後に割って内部を刳り抜く一木割矧造で、組んだ脚部と両手首先を別につくって寄せていますが、両手首先は江戸時代に補ったものです。
体は華奢、衣文は浅く流麗で、おだやかな顔とあわせ、繊細優美な姿ですが、この姿は平安中期の大仏師・定朝の影響を強く受けたもの。定朝が生んだ和様の仏像は平安貴族から「仏の本様」と讃えられ、多くの仏師に写されて一世を風靡しましたが、本像もその一例です。

観世音菩薩像(興福寺千体観音)

・年代:平安時代 12世紀
・法量:36.1cm

興福寺千体観音の一体と伝えられる像。その名の通り千体からなる群像でしたが、800年以上の時が流れるなかで朽ちて破損、加えて明治時代の廃仏毀釈の際に風呂の薪として燃やされるなど、多くが失われました。本像も両腕や膝前に二重にかかる天衣、台座は古いものが失われて修理で補っており、当初は右手に持つ蓮の蕾に左手を添え、その花弁を開く姿だったようです。おだやかな顔、薄く華奢な体、衣文が略される点などに平安後期の特徴がみられ、素朴な表情が愛らしい観音像です。

上原美術館