美術館通信31号の公開

9月18日に新しい美術館通信31号を公開しました。
ぜひご覧ください。

上原美術館通信 No.31

  • 仏教館 特別展 伊豆のみほとけ
  • 近代館 企画展 印象派をたのしむ—上原コレクションのちいさなまなざし
  • [コラム]近代 新たな時代へのまなざし—ルノワールとモネが見つめる鉄道橋 土森智典
  • 活動報告
  • 夏のワークショップの活動報告 丸山さとわ
  • 伊豆だより
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【近代館】印象派をたのしむ 上原コレクションのちいさなまなざし

小高い丘から見下ろすパリ郊外のシャンパーニュ平原にセーヌ川がゆったりと流れています。草木が生い茂る小道からは、静かな自然に分け入る葉擦れの音さえ聞こえるかのようです。鋭く伸びる枝の向こうには高い空が広がり、紫色に霞む遠くの大地に爽やかな風が吹き抜けます。印象派の画家アルフレッド・シスレーが描いたこの油彩画は、フランス語の原題に「ロッシュ=クルトーの丘から見たシャンパーニュ平原」と付けられていますが、一方で日本語のタイトルは「秋風景」となっています。そのわずかな言葉の響きには作品の叙情性が秘められており、この絵を愛した国内のコレクターのちいさなまなざしが垣間見えるかのようです。眼の前の自然の変化をとらえようとする印象派のまなざしは、どこか移ろう季節を愛でる日本人の自然観と共通する感性が息づいています。

印象派の中でも徹底して移ろいゆく光を捉えようとしたのはモネでした。《雪中の家とコルサース山》はモネが50代の冬、北欧ノルウェーで描いた作品です。モネは380メートルほどのこの雪山を富士山に見立て、変化する光の中で幾つもの油彩画に描きました。それら連作はモネ自身が収集していた葛飾北斎の浮世絵、富岳三十六景を彷彿とさせます。そうしたシリーズの一つである本作をモネから直接購入したのは、黒木三次・竹子夫妻でした。黒木夫妻は日本びいきのモネと親しく交流し、1919(大正8)年、ジヴェルニーのモネ邸にて直接この作品を譲り受けます(参考写真)。帰国後、黒木氏は国内の展覧会に出品、岸田劉生をはじめ多くの画家がこの絵を目にします。その後、関西のコレクター和田久左衛門の所蔵を経て、2005(平成17)年に上原美術館に収められました。日本に憧れたモネのまなざしは、移ろう自然を愛でる日本のコレクターのまなざしと重なり、今では富士山の近くの伊豆に飾られています。

本展ではコレクターや鑑賞者、画家自身の「ちいさなまなざし」をキーワードに印象派の絵画をご紹介します。若きルノワールがモネと並んで描いた《アルジャントゥイユの橋》、農村を愛したピサロが描く《エラニーの牧場》など、上原コレクションより印象派の絵画をどうぞお楽しみください。

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【仏教館】伊豆のみほとけ

川端康成は紀行『伊豆の旅』において、「伊豆は南国の模型である」と書きました。これは伊豆の風光や植生が本州の他地域と異なり、南方を思わせることを述べたものですが、白砂の浜、入り組んだ海岸線とそこに営まれた小さな港町、照葉樹に覆われた山々に抱かれた集落、河川が開いた小平野、火山の恵みの温泉…地区ごとに多彩な顔を見せる伊豆半島は、様々な要素が詰まって、さながら模型のようです。このように伊豆は多様な小世界が集まって構成されていますが、それぞれの世界には、その地に生き、歴史を刻んだ人々が信仰した仏像が大切に守り伝えられています。

本展ではこのような伊豆の仏像のうち、平安時代から鎌倉時代に造像されたお像を中心に二十数体を厳選して展示いたします。

表の十一面観音像は、昭和61年の当館の調査により、南伊豆町の漁港、入間の海蔵寺から見いだされた像です。この仏像は調査後、厨子のなかに厳重に納められ、長らく秘仏となってきましたが、およそ40年ぶりの公開が実現しました。このように本展は、寺院やお堂を守る地域の方々の特別なご厚意でご出展いただいた、秘仏や通常非公開の仏像を展示する特別展です。伊豆のみほとけとの一期一会の出会いを是非お楽しみください。

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【近代館】であう、はじまる—画家たちの初期作品

【近代館】であう、はじまる—画家たちの初期作品

今では巨匠と呼ばれる画家たちにも、そのはじまりがあります。若く名もなき画家はさまざまな人や芸術と出あい、心を揺さぶられ、そして自らの表現の道を歩みはじめます。本展では画家たちの若き感性があふれる初期作品をご紹介し、その芸術の魅力と本質に迫ります。

《科学と慈愛》はピカソ15歳のときの作品です。幼少の頃より美術教師の父に絵の手ほどきを受けたピカソは、官展のために大作の準備を重ねます。その最終準備作がこの油彩画です。ピカソはこの絵を縦2メートルの大作に仕上げ、マラガの展覧会で金賞を受賞。そしてピカソの画家としての人生がはじまります。

《アニエール、洗濯船》はシニャック18歳の作品。自身の作品帖には最初の番号が振られています。シニャックは16歳の頃、モネに憧れて画家を志しました。セーヌ川の輝くみなもは、モネを思わせる筆触分割で描かれており、理論的な点描主義に至っていない、若き画家の瑞々しい感性に溢れています。

そのほか、駆け出しのゴッホが憧れのミレーの小さな版画を懸命に模写した《鎌で刈る人(ミレーによる)》、株式仲買人の仕事をしていたゴーギャンが日曜画家として描いた最初期の油彩画《森の中、サン=クルー》、自らの芸術を模索する若き梅原龍三郎が師ルノワールに見せ助言を受けた《モレー風景》、西洋美術研究のため大学院を中退してスペインに渡った須田国太郎がその地の風景を描いた《山の斜面》など、画家たちの初期作品をご紹介します。

上原コレクションには、画家たちのはじまりの作品が多くあります。そこには画家の人間性を見つめるコレクターの小さくやさしい「まなざし」にあふれています。画家たちの初期作品を通じて、上原コレクションの魅力をどうぞお楽しみください。

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【仏教館】伊豆 民間仏めぐり

【仏教館】伊豆 民間仏めぐり

六世紀に日本に伝来した仏教は、都に仏教文化の大輪の花を咲かせ、やがて各地に伝播しました。古代中世の造像を担ったのは、主に皇族や貴族、地方豪族、武士たちで、この時代、仏教美術の名品が数多く生み出されました。

室町後期から戦国時代になると、仏教が地方の民衆の間にも定着します。やがて江戸時代に入ると、全国津々浦々で民衆が仏像造像を発願し、時には様々な立場や階層の人々が自ら造像するようになりました。こうして生まれた仏像の数は、前代を圧倒します。量で見る限り、江戸時代は仏像造像の黄金時代なのです。

江戸時代の伊豆の人々は、江戸に住む仏師たちに造像を依頼したり、彼らが制作した仏像を購入して寺院やお堂に迎えることが多かったようです。しかしその一方で、各地の寺院の片隅に目を凝らし、地域のお堂を訪ねると、伊豆に生きた作者による仏像も伝えられています。これらの像は職業仏師が作る像と比較すると、素朴な造形の像が多いのですが、不思議な魅力を宿しています。

本展では、伊豆で生まれた、造形的には拙いかもしれませんが、愛らしく、愉快で親しみやすい魅力的な仏像を、伊豆半島の全域から集めて展示いたします。

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【仏教館】ちいさきものは みなうつくし

【仏教館】ちいさきものは みなうつくし

弘法大師の生涯を描いた絵巻物の断簡。ふっくらとした体にすっと天地を指す誕生仏。塔の中にみほとけの言葉が書かれたお経の一部。小さいながらも、大切に伝えられてきた作品は今も数多く遺されています。本展では、新収蔵・初公開となる《高野大師行状図画断簡》(紙本著色・鎌倉~南北朝時代)を中心に、上原コレクションから小さくも愛らしい仏教美術をご紹介します。

《高野大師行状図画断簡》は、真言宗の祖、弘法大師・空海の生涯を伝える絵巻物の一部分です。二人の対面する僧侶が描かれた本作は、中国・唐に留学中の空海のエピソードが描かれています。留学した空海は、当時、密教の第一人者であり、多くの弟子を持つ恵果阿闍梨に師事しました。ある時、恵果の弟子、珍賀が空海を誹謗します。しかしその夜、珍賀の夢に四天王が現れ、空海を誹謗したことを責めたてたため、翌朝、慌てて謝罪をしました。画面には建物の中に座す空海、庭でひれ伏し謝る珍賀の姿が描かれています。切り取られた絵巻物の一片にはゆたかな物語が広がっています。

《誕生仏》(銅造・鎌倉時代)も本展で初公開となる作品です。釈迦が生まれた姿をうつしとった誕生仏は、ふっくらとした小さな体で天地を指さしています。20㎝に満たない大きさの像ですが、微笑する口からは今にも「天上天下唯我独尊」と言葉を発しそうです。

本展では、《一字宝塔法華経》(長寛元[一一六三]年)や《大日如来像》(文永七[一二七〇]年)などを小さいながら愛らしい作品を展示いたします。手元にそっと置いて、対面したくなるような仏教美術の数々をお楽しみください。

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【近代館】あわいひかり やわらかないろ

【近代館】あわいひかり やわらかないろ

上原コレクションの特徴は、個人コレクション特有のやさしさ、穏やかさにあります。見ていてほっとするそれらの絵は、生活をやさしく彩ります。今回のコレクション名品選では、新たに収蔵した安井曽太郎《庭の雪》を中心に、あわい光とやわらかな色彩による絵画をご紹介します。

安井曽太郎《庭の雪》は、木々の間に冬の気配が広がる風景画です。あわい光は木々や地面に積もった雪に反射して、画面全体を穏やかに照らし出します。雪に落ちる影は、緑がかった灰色、ピンクがかった灰色など、やわらかな色彩によって複雑なニュアンスを生み出しています。緑や黄土色などの中間色はわずかに置かれた黒と対比されることで、雪の白を息づかせています。枝の間から空を見上げると、滲むような光が広がり、静かな画面に冬の冷たい空気が満ちるかのようです。安井が本作を描いたのは、フランスから帰国後の長いスランプを経て自らの様式を生み出した時代でした。色彩を並べ置いて空間を生み出すその構成はセザンヌを想起させますが、あわい光とやわらかな色彩には安井独自のレアリスムを感じさせます。

本展ではそのほか、都市の喧騒をやわらかな中間色で描き出すアルベール・マルケ《冬のパリ(ポン・ヌフ)》、川面にあたる光のニュアンスを色彩で捉えたクロード・モネ《ジヴェルニー付近のセーヌ川》、にぶい光の中に紅白の花が浮かび上がる須田国太郎《牡丹》など、あわい光とやわらかな色彩による絵画をご紹介します。穏やかでやさしい上原コレクションの魅力をどうぞお楽しみください。

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【近代館】ものがたりをよむ 

古くから人々に親しまれてきた「ものがたり」は、歴史や文化を越えて自由に想像の世界を楽しむことができます。そして、そこに広がる豊かな世界に心ひかれた画家たちによって、多くの魅力的な絵画が生み出されてきました。

日本画家の小林古径は歴史や文学への造詣が深く、物語や謡曲をはじめ、仏教などを題材とした絵画をたびたび描いています。なかでも平安時代の歌物語『伊勢物語』は古径お気に入りの主題でした。『伊勢物語』は全125段からなり、それぞれ異なる話が和歌とともにつづられています。

第23段「筒井筒」では、幼馴染の男女のエピソードが書かれています。お互い成長し、恥ずかしさから会わずにいた二人ですが、男が、

筒井つの 井筒にかけし まろがたけ
過ぎにけらしな 妹見ざるまに
(井戸の囲いで測り比べた私の背丈も、囲いの高さを過ぎてしまったようですね。あなたを見ないでいるうちに)

と女に歌を贈ります。女はそれに対し、

くらべこし 振分髪も 肩すぎぬ
君ならずして たれかあぐべき
(比べ合ってきた私の振り分け髪も肩を越えてしまいました。あなたでなくて誰のために髪あげしましょうか)

と返し、歌をやり取りすることで、心を通わせます。この第23段に由来する古径の《井筒》(表面作品)では、幼い二人の子どもたちが井戸の周りで遊ぶ場面が描かれています。余白を十分とった簡潔な画面からは、背丈や髪の長さを比べあったこども時代のさわやかな情景が目に浮かぶようです。

本展では、ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』に登場する女性戦士が遠い眼差しを湛えるルドン《ブリュンヒルデ、神々のたそがれ》、旧約聖書『創世記』より、最初の人類である男女が禁断の果実を受け取る場面を捉えたデューラー《アダムとエヴァ》、新約聖書においてベタニヤのマルタ・マリア姉妹との出来事を描いたルオー《キリストとの親しき集い、ベタニヤ》など、さまざまな「ものがたり」を主題とした絵画を紹介します。これらの作品に寄り添って、耳をかたむけてみてください。描かれた作品が、あなただけにそっと語りかけてくれるはずです。画家たちが生み出した多様な「ものがたり」の世界をどうぞお楽しみください。

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【仏教館】特別展 仏像でみる伊豆の平安時代

最近、紫式部や清少納言が生きた、平安時代(10世紀後半~11世紀前半)に注目が集まっています。紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』は有名ですが、この時代に朝廷で権勢をふるった藤原道長も日記『御堂関白記』を残しており、当時の貴族たちの生活や考え方を知ることができます。その一方で、同じ時代の地方については文献資料がほとんど残っておらず、上原美術館がある伊豆についても、その歴史や人々の営みはあまり明らかになっていません。しかし、伊豆には、平安時代の人々の心のよりどころとなった仏像が意外に多く伝えられています。本展は、文献ではうかがうことが難しい、伊豆の平安時代を、仏像を通じて考え、感じてみようと試みる展示会です。
観音寺の薬師如来像、向陽寺の阿弥陀如来像、善光庵の十一面観音像、法雲寺の如意輪観音像、金龍院の不動明王像は、10世紀から11世紀前半の像と考えられており、紫式部や藤原道長が生きた時代に造像された仏像。その後、千年近い年月、信仰されてきた貴重な仏像です。通常非公開の仏像、数十年に一度開帳される仏像も展示いたします。この機会に是非ご覧ください。

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上原美術館