ピエール・ボナール 《雨降りのル・カネ風景》

ピエール・ボナール-雨降りのル・カネ風景

ピエール・ボナール Pierre Bonnard
雨降りのル・カネ風景 Paysage du Cannet sous la pluie
1946年 油彩・カンヴァス 51.6×64.6cm

ボナールが晩年を過ごした南仏ル・カネの風景が広がっています。画面中央の人物は傘を差しているのでしょうか、滲むような色彩が雨中の光をあらわしているようです。

ボナールは手帳にデッサンとともに天候を書き留め、自宅のアトリエで油彩画に仕上げました。「天候の書き入れは、僕に光を思い出させてくれるものだ」と語っています。

 

 

アンリ・マティス 《エトルタ断崖》

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アンリ・マティス Henri Matisse
エトルタ断崖 Les falaises à Etretat
1920年 油彩・カンヴァス 38.0×46.3cm

ドーヴァー海峡に面したエトルタは、白亜の断崖が切り立つ小さな漁村です。村のはずれには波蝕によって生み出された「象の鼻」と呼ばれる断崖があり、ドラクロワやクールベ、コロー、モネなど多くの画家がモティーフとしてきました。マティスは1920年と21年の夏にこの地を訪れて、「象の鼻」を多くの作品に描きました。

空にはノルマンディーの低い雲が流れ、断崖の沖にはヨットが浮かぶ夏の情景が描き出されています。マティスはこの時期、明暗をあらわす灰色や茶色などの中間色を多用しました。それらと黒を併置することで、一見暗い色調の灰色や茶色は美しい輝きを帯び、色彩を引き立たせています。海の水面(みなも)は水色と黄土色、黒の線のみで表現されていますが、ノルマンディーの海がもつ千変万化するやわらかな色調を見事にあらわしています。

 

 

アンリ・マティス 《鏡の前に立つ白いガウンを着た裸婦》

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アンリ・マティス Henri Matisse
鏡の前に立つ白いガウンを着た裸婦 Nu au peignoir blanc debout devant la glace
1937年 油彩・カンヴァス 46.0×38.0cm

南仏ニースのアトリエが彩り豊かに描き出されています。白いガウンを着た女性は、1932年頃からマティスの制作助手やモデルを務めたロシア人リディア・デレクトルスカヤです。人体の陰影は紫や朱色であらわされ、色彩の中にもヴォリュームを感じさせます。女性が羽織ったガウンは、わずかに緑がかっていることで、赤が主調となる画面で白の印象がさらに際立っています。

女性を写し出す鏡は、画面の奥行複雑にして、空間を倒錯させています。また、鏡の脇に置かれたカンヴァスやイーゼル(カンヴァスを立てる道具)は、この作品を描く画家の存在を垣間見せ、幾重にも重なる不思議な空間を生み出しています。

1951年、戦後初めて日本で開催された「マチス展」において本作を見た安井曽太郎は、「愛らしい、樂しい、美しい小品。人物、鏡、格子模様の背景、のよき連絡」と評しています。

 

アンリ・マティス 《アネリーズの肖像》

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アンリ・マティス Henri Matisse
アネリーズの肖像 Portrait d'Annelies
1944年 コンテ・紙 52.0×39.5cm

ここに描かれた女性は当時モデルを務めたアネリーズ・ネルクです。彼女は柔和な容貌でありながら、その強い眼差しは内に秘めた豊かな精神の広がりを感じさせます。

マティスは肖像画の制作について、「作品の本質的表現はモデルの姿顔立ちの正確さにではなくて、全くと言っていいほどモデルを前にした芸術家の感情の投射に依存していると私は思う」と述べています。また、「表面は多少簡略に見えても、芸術家とそのモデルの内的関係の表現であるヴィジョンが現れてくる。制作中になされた細やかな観察をすべて含んだ素描からまるで池のなかの泡のように内部で発酵したものが湧き出してくるのである」とも語っています。

 

 

アルベール・マルケ 《冬のパリ(ポン・ヌフ)》

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アルベール・マルケ Albert Marquet
冬のパリ(ポン・ヌフ)  Neige et ciel vert, Paris (Le Pont Neuf)
1947年頃 油彩・カンヴァス 61.5×50.0cm

雪が降り積もり、薄靄がかかったようなパリの情景が広がります。マルケは若い頃からパリのセーヌ川ほとりにアトリエを構え、その眺めを描き続けました。1931年には、セーヌ川にかかる橋ポン・ヌフ近くの建物5階に引っ越しました。

1946年冬、マルケは病に倒れ、翌年1月に手術を受けます。快復後、マルケは再びパリのアトリエからの眺めを描き始めますが、夏には帰らぬ人となりました。絶筆はアトリエからの雪景色だったといいます。本作には一人の画家が愛し続けたパリの眺めが広がっています。

 

アンドレ・ドラン 《静物》

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アンドレ・ドラン André Derain
静物 Nature morte
1912年 木炭・紙 61.0×50.0cm

テーブルクロスの上に、空の器やタバコ缶、蝋燭台が置かれています。こうした画題は静物画と呼ばれ、西洋では17世紀頃から盛んに描かれてきました。そこにはしばしば寓意的な意味が込められています。火のない蝋燭台は人生の虚しさ(ヴァニタス)を意味し、タバコ(古くはパイプ)や空の器もそうしたことを暗示しました。

ドランはこの頃、キュビスムという前衛的な絵画を展開します。ここではタバコ缶の表面に書かれた「TABAC」という文字(平面)とモティーフが生み出す陰影(立体)が対比されています。こうした絵画において、ドランは伝統的なモティーフに現代的な感覚を持ち込むことで、絵画の可能性を探っているかのようです。

 

 

アンドレ・ドラン 《レ・レックの森の中》

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アンドレ・ドラン André Derain
レ・レックの森の中 Sous-bois aux Lecques
1922年頃 油彩、カンヴァス 60.0×73.0cm

1919年に第一次世界大戦の徴兵から戻ったドランは、1921年のイタリア旅行を機に古典芸術に傾倒を深め、造詣の節度と美しい秩序、厳密な構成を重んじた作風へと移行していきました。

本作もまた、厳密な構成に基づく風景画です。画面の下層からは 約15cm四方ずつに区切られた赤い構成線が垣間見え、木々が生み出す主要な造形はそれに基づいて構成されています。中央の木は画面のほぼ中央に配されており、対角線を生かした枝や葉のうねりが画面全体に動きを生み出しています。ほぼ前景と中景のみで構成された絵画空間は、規則的な筆触と強調された明暗で形作られ、キュビスムやセザニスムにおける探求が古典的構成のもとで展開されているといえるでしょう。1920年代、ドランは毎夏を決まって南仏レ・レックとその周辺で過ごし、その風景を数多く描きました。本作もそうした中の1枚です。

 

 

アンドレ・ドラン 《フランシス・カルコ夫人の肖像》

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アンドレ・ドラン André Derain
フランシス・カルコ夫人の肖像 Portrait de Madame Francis Carco
1923年頃 油彩・板 32.6×26.6cm

本作には、ドランやピカソらとも親交があった小説家フランシス・カルコの妻が描かれています。額を出しすっきりとしたショートカットの夫人の髪型は、肩を出したシンプルなドレスと相まって端正な雰囲気を出しています。

夫人は前髪をかき上げたボーイッシュな髪型をしています。ドレスは、ファッション雑誌『ヴォーグ』にみられるような、スタイリッシュなイブニング・ドレス(夜会用のドレス)です。先進的な芸術家たちと交流のあった人物らしく、モードを取り入れた装いをみせています。

 

 

アンドレ・ドラン 《裸婦》

アンドレ・ドラン André Derain
裸婦 Nu assis
1929年 油彩・カンヴァス 34.0×21.0cm

本作はコレクター上原昭二氏が初めて手に入れた油彩画です。当初、そのよさがわからなかったものの、信頼する画商の薦めもあり、この作品を購入したといいます。上原はこの作品を眺めるうちに徐々に魅せられ、のちには「足長お嬢さん」の愛称で親しむようになりました。

購入当初、実家で暮らしていた上原は「買ってから3年間も分不相応なことをしたと怒られるのが怖くて、父に見られないよう押し入れに隠していました」。この作品を初めて部屋に飾ったのは、自分の家を持ったときだったといいます。上原近代美術館のコレクションのはじまりを象徴する作品です。

 

 

黒田清輝 《風景》

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黒田清輝
風景
制作年未詳 油彩・カンヴァス 54.5×38.0cm

木立の中に鮮やかな緑が広がる風景は新緑の時期でしょうか、草むらにはピンクや黄色の花が所々に咲いています。

黒田は木々を断ち切るような構図によるこうした風景画をしばしば描いています。筆の跡が重なるような緑の広がりは、「外光派」と呼ばれた黒田独特の光の感覚に満ち溢れています。

上原美術館