須田国太郎 《下田》

15_suda_m

須田国太郎
下田
1956(昭和31)年頃 コンテ・紙 27.0×36.5cm

1954(昭和29)年6月、伊豆風景を描くために招かれた須田国太郎は、一週間の写生旅行をしました。韮山、古奈、下田、石廊崎、松崎、三島などに立ち寄り、各所でスケッチをしながら伊豆を廻ったようです。日記には、「バスで下田へ向かう 割合平凡 天城山横断は流石によし 市中あるく なまこ壁眼につく ここでかくつもりにする」と記されています。

また、数年後には下田港から武山(寝姿山)を望むスケッチ《下田》を描いています。前景に堤防が見え、なまこ壁が並ぶ街の手前には多くの船がひしめいており、当時造船業で栄えた下田の賑わいが垣間見えます。ここでは手前にみえる船よりも、遠景にある2階建てのなまこ壁の倉庫をつぶさに描いており、旅行中須田がよく眼についたというなまこ壁への関心があらわれています。

岸田劉生 《麗子微笑像》

16岸田劉生-麗子微笑像-1921m

岸田劉生
麗子微笑像
1921(大正10)年 水彩・紙 41.8×34.0cm

赤と黄色が鮮やかな絞りの着物を着た劉生の娘・麗子が描かれています。頭には中国のかんざしをつけて、神秘的な笑みを湛えるようすには、どこか不思議な異国情緒が感じられます。

劉生は日記に「今日は麗子が早びけで早く帰つたので、(中略)、その上又麗子の例のメリンスの赤と黄のシボリの美しいきものを着せて頭に先日の支那のかんざしをつけて、笑つてゐる半身像をはじめて、筆をおく」(1921年9月30日)と記しています。メリンスとはメリノ羊の毛で作った布で、細かな染付ができる数少ない毛織物として重宝されていました。劉生はこの着物を着た麗子をしばしば描きましたが、本作では絞り染め特有の布にできる凹凸を水彩画で表現するため、色の濃淡に注意を払っているようすがうかがえます。

【没後90年記念 岸田劉生展】に出品
東京ステーションギャラリーの『没後90年記念 岸田劉生展』(8/31~10/20)に出品しました。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201908_kishida.html

 

岸田劉生 《静物》

17_kishida_m

岸田劉生
静物
1921(大正10)年 油彩・カンヴァス 38.0×45.5cm

机の上に4つの果物と一つの器が置かれています。それらのモティーフはまるで人物が佇むかのように不思議な存在感を漂わせています。劉生自らのある静物画について次のような詩を残しています。「君は其處に丁度人のない海岸の砂原に/生れて間もない赤子が二人、默つて靜かに遊んでゐる姿を思はないか/その靜かさ美しさを思はないか/この二つの赤子の運命を思はないか」。一見、机の上に無造作に並べられた本作のモティーフにも、劉生が見出した「実在の神秘」が隠されているかのようです。

牛島憲之 《雨明かる》

18_ushijima_m

牛島憲之
雨明かる
1982(昭和57)年 油彩・カンヴァス 45.5×91.0cm

伊豆・下田は牛島がよく訪れた土地の一つです。この作品は下田の白浜にある板戸港での写生をもとに制作されました。水平線が曖昧な画面には淡い光があふれ、穏やかな自然とそこに生きる人間の営みが、温和な色彩で描かれています。日が差し込む雨上がりの海にはゆったりと小船が浮かび、堤防や岩肌は静かに輝きを放ちます。画面中央の堤防には、釣人たちが座って海面に糸を垂らしています。その中に一人だけ、海を眺めるような人物が佇んでいます。牛島はたびたび作品に一種の自画像ともいえる点景人物を描き込みました。ここでも自身を投影しているのでしょうか。この人物の存在は幻想的な自然描写と相まって、見るものを牛島独自の絵画世界へとひきこむかのようです。

牛島の作品はじっくりと取り組んだ写生をもとに、アトリエで時間をかけて再構築されたといいます。そうして生み出された独自の形態と、丹念に塗り込めた淡い色彩からは、静謐な趣が漂います。本作でも、やわらかい光に包まれた港の光景が、簡略化された形態描写によって詩情豊かにあらわされています。

 

 

 

 

上原美術館