・年代:平安時代後期(12世紀)
・法量:像高36.1cm
ヒノキと思われる針葉樹で造られた一木造の観音像。本像は興福寺千体観音の一体と伝えられています。興福寺にはかつて千体観音が伝来していましたが、安置するお堂が老朽化し、ほぼ全ての像は著しく破損、風呂の薪として燃やされたものもあったといいます。本像もかつては破損した姿だったようで、は両腕、両足先・膝前に二重に渡る天衣(ストール)などが後世補ったものです。千体もの観音像を制作した事情は明らかになっていませんが、興福寺は藤原氏の氏寺であるため、平安時代に隆盛を誇った藤原氏の各家がそれぞれ、その力に応じて様々な仏師に制作を依頼、一族の繁栄を祈願して奉納したものという説があります。