陰翳礼讃(いんえい らいさん)

会期:2021年4月29日(木・祝)~9月26日(日) 会期中無休
*2021年4月19日(月)~4月28日(水)は展示替えのため全館休館となります

作家・谷崎潤一郎は随筆『陰翳礼讃』において近代日本の陰翳の本質を論じました。かつて金箔が施された仏像は暗い堂内で「沈痛な美しさ」を見せ、絵画は床の間で「陰翳に深みを添えるもの」として鑑賞されたといいます。本展では仏像や絵画などジャンルを越えた美に見出す、現代における陰翳の魅力をご紹介します。

 

『絵画が紡ぐ物語/胡蝶舞う浄土』がはじまりました

2021年1月21日より、新しい展覧会『上原コレクション名品選4 絵画が紡ぐ物語/胡蝶舞う浄土』が始まりました。モネの名作≪雪中の家とコルサース山≫をご紹介するほか、新収蔵となる平安・鎌倉時代の貴族・平基親(たいらのもとちか)が書写した≪紺紙金字法華経巻五(平基親願経)≫を初公開します。

 

 

 

 

 

地蔵菩薩像

動画による作品解説

地蔵菩薩像
安土桃山時代(天正20年/1592) 加賀宗圓 作
一木割矧ぎ造り・玉眼・漆箔
土沢地蔵堂(熱海市伊豆山土沢) 熱海市指定文化財

熱海の北東、日金山中腹にある土沢地蔵堂の本尊です。『地蔵菩薩霊験記』によると、熱海は「炎熱地獄の小端」であり、日金山は亡者を救済する地蔵の住処とされていました。本像の年代には諸説ありましたが、当館の調査で見出された木札解読により、天正18年(1590)豊臣秀吉によって焼かれた後、鎌倉大仏所の加賀宗圓が復興造像したものと判明しました。木札には供養の際に「さとう(茶頭)」による茶会が催されたらしいことなど興味深い記事があり、今後の研究が期待されます。

毘沙門天像

動画による作品解説

毘沙門天像
南北朝時代(14世紀) 木造・玉眼・彩色
個人蔵(伊東市宇佐美) 伊東市指定文化財

伊東市宇佐美の旧家、濱崎家に伝わる毘沙門天像です。関ヶ原の合戦で敗北した石田三成に属した濱崎家の祖先が、逃れる際、持参したという伝承があります。
構造は前後二材を寄せてつくる寄木造りで、両腕以下を別に造って寄せています。頭部は襟際で一度割り離して玉眼を入れ、両足も胴体から一度割り離して仕上げる割足です。迫力ある面貌、力強い体躯などから14世紀の像と考えられ、像内に寛政4年(1792)年、血液で書写した経典が納められています。

菩薩像

動画による作品解説

菩薩像
平安時代(10世紀) 木造・彫眼・素地
河津平安の仏像展示館/南禅寺(河津町谷津)静岡県指定文化財

南禅寺の平安仏群の一体です。両腕や垂下する天衣までを含む像全体をカヤの一材でつくる一木造りで、干割れを防ぐ内刳りもありません。引き締まった肉身、腰前の鎬が立った衣文、足元の大波小波が打ち寄せるような翻波式衣文は古風で、一木造りの技法とあわせ考えると、10世紀の像と思われます。9世紀後半から10世紀は、伊豆諸島の火山活動が活発化していいました。南禅寺仏像群は、この災厄を鎮静化する目的で中央政府によって制作された可能性があります。

菩薩像

動画による作品解説

菩薩像
平安時代(12世紀) 木造・彫眼・素地
河津平安の仏像展示館/南禅寺(河津町谷津)河津町指定文化財

河津町谷津の南禅寺(なぜんじ)には、26体の平安仏と23点の仏像断片が伝えられています。本像はそのうちの一体で、山津波で被災した姿ながら、頭上の髻と、上半身裸形で天衣をまとう姿から菩薩の像とわかります。内部に大きな空洞があり、各所に節があるなど、明らかに質の悪い材を用いており、細身で大きく湾曲した体、小さな頭に不釣り合いな太い首などは材の形に制約された造形で、霹靂木(へきれきぼく:落雷した木)などの特別な霊木を用いた像と考えられます。

上原美術館